2023/2/24 静岡地裁 第13回旧優生保護法裁判
12:00デモ行進
2023年2月24日(金)、静岡地方裁判所において、旧優生保護法裁判の被害者であるろう高齢女性の宮川辰子さん(仮名)の判決が申し渡されることになっていた。
それに先立ち、静岡県聴覚障害者強制不妊手術調査委員会(静聴協・静通研・士協会・県サ連)では、デモ行進を企画。今にも雨が降り出しそうな曇り空の下、静岡市内の常盤公園に県内外から約100名の弁護団と支援者が集合、12:00から静岡地方裁判所をめざして、県庁周辺約30分の道のりをゆっくりと歩き進んだ。
コールは「命を分けない社会をつくろう! 優生保護法解決しよう! 手話は言語! ろう者から手話を奪った歴史にNO!」。プラカード代わりのラミネートを掲げ、音声や手話でコールを繰り返した。
14:30法廷
裁判所では、傍聴の抽選のため150人が列に並んだ。抽選が終わると、弁護団と共に入廷行動を行った。その後、傍聴できる人たちは法廷に向かい、外れた人たちは道沿いで判決の「旗」を待った。
開廷前、静岡地方裁判所201号法廷では報道機関に1分間の撮影が認められた。満席の傍聴席には緊張が張りつめていた。
初めに、酒井智之裁判官が「増田裁判長は差支えのため代読する。主文の後、判決理由骨子の朗読をする」と告げた。「主文 1.被告は、原告に対し、1650万円及びこれに対する平成31年2月28日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。2. 原告のその余の請求を棄却する。3.訴訟費用は、これを2分し、 その1を原告、その余を被告の負担とする。(1) 原告は、昭和45年10月頃、産婦人科医院において、優生保護法施行規則1条3号にいう卵管圧ざ結さつ法又は同条4号にいう卵管間質部けい状切除法の方法により、優生保護法4条に基づく優生手術を受けたと認められ(中略)(6)原告は、特定の疾病又は障害を有することをもって、不良な子孫の出生を防止すべきという差別的な思想に基づき、自らの同意なく、身体に強度の侵襲を伴い生殖機能を回復不可能とする優生手術を受けさせられたことが認められる。これによる原告の精神的及び肉体的苦痛は甚大であると認められ、その慰謝料は1500万円と認めることが相当である。また、本件と相当因果関係のある弁護士費用は150万円と認めることが相当である。したがって、原告の損害は、慰謝料1500万円及び弁護士費用150万円の合計1650万円となる」とした。
その瞬間、勝訴は決まったが、法廷では、あっという間の判決文読み上げに、不安げな表情を浮かべる傍聴者も多かった。弁護団の頬が緩んだところで、勝ったことを実感し、法廷を出るときの足取りは軽く感じたことだろう。
一方、地裁前道路では、誰もが手に汗握って「勝訴の旗」を待っていた。
近づく若手弁護士3人の表情がマスクで良く見えない。何だか下を向いているようにも見えた。まさかとの疑いも拭い去れない。しかし、「静岡も勝訴」「憲法違反」「4度目の断罪」の「旗」が掲げられた瞬間、大歓声が沸きあがり、抱き合って涙、涙、涙。
そこからは満面の笑顔で、勝利を喜び合い、感情を爆発させていた。
あまりの歓喜の様子に、道を通る小学生たちが立ち止まり「何かあったんですか?」と訊ねる一幕もあった。
裁判終了後、地裁に隣接する弁護士会館で報告会が行われたが、県内外から応援に駆け付けた参加者ですぐに満席となり、入りきらなかった人たちは、静岡県総合社会福祉会館5F会議室で、Zoom配信により参加した。
14:45報告会
西澤美和子弁護士の司会で始まり、大橋昭夫弁護団長が「皆さんの支援があっての勝利。熊本地裁に続く勝利を心から喜びたい。『違憲』『強制不妊手術は違法』が認められた。障害者差別撤廃のために訴訟に踏み切った宮川さんに敬意を表する。聴覚障害者協会の皆さんに感謝。応援の皆さんに感謝。静岡からまだある優生思想をなくす大きな一歩。旧優生保護法は母体保護法になるも、つい最近では北海道の施設では不妊処置を条件に結婚を許可。優生思想ははびこっている。国が、これらに関係していることは『自明の理』である。障害者を不良と決めつけ規制することは、どの時代でもどの状況でもあってはならない。国連の権利条約でも高らかに謳っている。日本国憲法の精神でもある。全国4度目の勝利を『てこ』として、すべての被害者の救済制度を求めて行きたい」と勝利のあいさつを行なった。
次に静岡県聴覚障害者強制不妊手術調査委員会、伊藤行夫特別調査委員長が「宮川さんは、ろうの障害の他、視力も落ち、体の調子が悪くて本日は出席できません。代わりに宮川さんから伝えられたことを話します。
宮川さんは、最初、弁護士は手話が通じないし、どんな人かわからないから怖いと思っていたようです。でも、弁護士が手話で名前を表してくれた時はとても嬉しそうでした。宮川さんは、自分の赤ちゃんを産み、抱っこして頬ずりしたかったと悲しそうに言います。宮川さんにとって、裁判は難しいですが、度重なる協会の説明で『自分の体を手術させたのは、親や親戚ではなく国会と知った』と言っていました。
私は50年前に強制不妊手術のことを先輩から聞き知りました。その当時は誰もこの話に関心を持ちませんでした。それ以来、ずっと心に引っ掛かりを感じていました。今日嬉しい判決が出て、私の胸のつかえが消えました。宮川さんは、今日の勝利について、弁護団といつも裁判を応援してくれる皆さんに心からお礼を述べたいと思っているはずです」と話した。
続いて、全国弁護団の新里宏二代表は「裁判官の『被告は』の声を聞き、勝ちであることを確信した。1650万円は、いままでで最大の金額。被害の重さを表している。仙台は負けたが、大阪、東京高裁、熊本地裁と勝ちが続いている。
全国には声をあげられない被害者が多くいる。私たちは、その被害者にも寄り添っていかなくてはならない」と語った。
弁護団の佐野雅則事務局長は、判決内容の精査はまだとしながら、次のように述べた。
「原告の当時の手術記録は残っていない。そのため、本人の記憶、手術痕および優生保護法指定医の存在などから立証し、裁判所も手術の存在を認めた。そのうえで、優生保護法は、人権を侵害するものとして憲法13条・14条に違反するとし、違法な優生手術政策を推進した国に賠償責任があることを認めた。問題の除斥期間については、国が全国的・組織的な施策により被害の事実を知り得ない状況を殊更に作り出し、原告がその事実を知ることができなかったのであるから、正義公平の理念から、除斥期間の適用を制限するとした。被害者には請求までの時間がかかったことについてなんの責任もないということを端的に認めたものである。」
報告会が弁護団の記者会見を兼ねていたので、テレビ、新聞などから相次いで弁護団に質問があり、その後は、ゲストの優生保護法問題の全面解決をめざす全国連絡会(優生連)の松本多仁子事務局長が「被害者は、しんどい人生を歩かされてきた。裁判で話すことには大きな勇気が伴う。我々は知っておくべきだった。知ろうともせずに、知る機会を持つこともなくきていた。知った以上知らん顔はできない」と力強く語った。
続いて、ジャーナリストで大橋由香子優生連共同代表が「優生手術という人権侵害はなぜ起きたのか~裁判に至るまでの長い道のりと人口政策~」と題して、ミニ講演を行った。
大橋代表は、戦後の日本の人口政策の歴史に触れ、「明治以降の日本の近代化により、富国強兵によって国を豊かにするとされ、妊娠中の女性が堕胎(中絶)した時は処罰される堕胎罪が作られた。女性は生んで母親にならなければいけない。しかし、新憲法制定後、日本は戦争に負けたから、食糧も住宅も不足する。強くない人や混血児が増えてはいけない。堕胎罪はそのままで、1948年優生保護法が成立。宮城県の飯塚淳子さん(仮名)は、障害なき障害者とされ、16歳で強制不妊手術を受けさせられた。親のせいだと恨み続けていた。関係機関に訴えるも相手にされなかった。2018年、飯塚さんと佐藤由美(仮名)さんが仙台で全国初の訴訟を起こした。
その後、全国で34人が、自分がされた手術も優生保護法によるものだと気づいて裁判を起こした。本人に説明がなかったのに、20年経ったから訴えられないという除斥期間で敗訴が続いていた。「性と生殖に関する健康/権利(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)」について、世論は変わったが国は変わらない。しかし、除斥期間の壁は崩れた。全面解決に向かっている」と結んだ。